21才の女性が感動的なスピーチ

2015.07.22.09:33

 暑中お見舞い申し上げます。

 21才の女性が大阪駅前で「安保法制」に対しての
感動的なスピーチをしている動画画像を見ました。
8分間なので見て下さい。

安保関連法案反対のスピーチin大阪

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そら怖ろしい怪物がうごめいている

2014.07.02.22:16

 考えれば考えるほど いまはそら怖ろしい怪物がうごめいていて それがいつ現実のものとなるかわからない しかもいつか現実に現実のものとなって 言語に絶する害悪災難を国と人民におしつけずにはいない そういう種類のそら怖ろしい怪物です その名は有事法制 しかもこんな怖ろしいものが みんながワールド・サッカーなどに熱狂しているどさくさにまぎれて 議会を通過するかも知れないのです
この事態にたいする詩人の任務は何か と自ら尋ねるとき このような状況を適格に詩のことばで捉えて 詩のかたちにして この怪物の正体を白日のもとにさらけ出してやらねばならないのに 自分の詩の力の弱さを感じとらずにはいられないのです。このようなときにこそ、あの不純な詩 非純粋詩 悪趣味の詩が力を発揮する時なのです だから勇気をふるって この詩にとりくまねば と自らをはげましています

 いま わが国では この国では
 そら怖ろしい怪物がうごめいている
 そら怖ろしい悪企(わるだく)みがうろついている
 
 この怪物が議会から解き放たれたら
 この国はまた軍国主義ファシズム
 ぺてん師どもによる無血クーデター

 この怪物が野に解き放たれれば
 あのむかしの真昼の暗黒がやってくる
 深夜の通行人の時代がやってくる

 また口には猿ぐつわ 目には目隠し
 夜ひる犬どもが街をうろつきまわる
 叫ぶ人は引っ捕らえられぶち込まれる

 そして人民はまた奴隷の身に落とされる
 そして人民はまた羊の群と化して
 地獄のような奈落へと追い落とされる・・・

とにかくわたしたちは大きな歴史の曲がり角に立っているわけです どのみちよい方向には曲がらないでしょう それでも 新聞記事でしか報道されないような状況を なんとか詩のかたちに捉えてゆくほかはありません それがレアリスト詩人の任務です ゴーシュロンのいう不純な詩 非純粋詩の出番です こんな危険を前にして なお小さな自我の内面などを歌ってすましているとすれば それはなんと人間離れのした 非人間的なことでしょう・・・
 お元気を祈ります
  六月十二日                   大島博光

<解説>
大島博光が安西良子さんに書いた書簡より。安西良子さんは晩年の博光と書簡によって交流した詩の愛好家。その往復書簡は100通を超えるという(重田暁輝氏<大島博光と雑誌「同時代」>『狼煙』74号)。
この手紙は2002年、小泉内閣による有事法制制定の動きの際に書かれたと見られます。この年、ワールドカップが日本と韓国で共同開催。この手紙の鳴らす警鐘は、今、安倍政権が強行しようとしている集団的自衛権行使容認の解釈改憲の動きを射程に収めています。

ニコル・ゴードンさんからのメッセージ

2013.06.17.19:45

 ニコル・ゴードンさんからのメッセージ

 『ベアテさんの志を受け継ぐ会』で私の気持ちを伝えられる機会をいただき、ありがとうございます。死の床で母が何より望んだことは、今の困難な状況の中で憲法を守ろうとする日本の人々を励ます事でした。

 母は日本国憲法にいろいろな形で貢献しました。
 第一に、男女平等と、人権、そして学問の自由の草稿を書きました。
 第二に、母が焼け跡の東京で各国の憲法を集め、草稿を書くスタッフ皆がそれらを参考にすることで、アメリカ憲法を土台にしない憲法草稿が作られました。
 第三に、日本語が流暢な母は日本政府とアメリカ側が憲法の最終稿を交渉する席上に通訳として参加しました。
 第四に、憲法の制作過程が秘密でなくなってからは、母は飽く事なく日本国憲法を擁護し、その努力は死の直前まで続きました。
 最後に、世界中の新聞やインターネットが母の死を報道したことで、さらに多くの人々が日本国憲法の歴史と内容、そして私たちが変えずに守りたいと思う条項の重要性について学びました。

 私はいま58歳で、約40年の経験がある弁護士です。しかし、1946年の母の仕事が私に振り当てられても、母のような素晴らしい仕事はできなかったと思います。母は法律の学位以上の大切なものを持っていました。それは日本の言語、文化、人びとへの、そこで育った者にしかわかり得ない深い理解と愛情です。日本に必要だと思うことを感じ取り、正確に表現する感性です。

 私の祖父、レオ・シロタは、戦前の日本で人々が西洋音楽を学ぶ事に大きく貢献したピアニストでした。その娘、ベアテの戦後50年の仕事は日本とアジアの芸術、特に舞台芸術をアメリカに紹介することでした。国籍に縛られない国際人である母はどんな国のどんな種類の芸術でも、本もので最高だと思えるものはそのすべてを敬愛しました。アジア協会と日本協会のプロデューサーとしてアジアからアーティストを招き、アメリカ各地での公演を企画、主催しました。アメリカでは多くの人たちが、母の制作した舞台を見てアジアの文化と芸術を知り、深く影響を受けました。いろいろな国の人が互いを深く知りあうことで、平和を求め続ける文化が生まれるというのが母の信条でした。

 母の最後についてお話しします。
 母は死の1年ほど前から膵臓がんを患っていましたが、親しい友人にも話しませんでした。昨年8月に93歳で亡くなった父を看病している間、母は気丈でした。しかし父を看取ってからは目にみえて弱っていきました。
                                   ′
 12月の初め、朝日新聞から日本の憲法についての取材依頼がありました。ベアテは憲法を変えたいという動きが日本にあることに敏感でした。そして自分が死につつある事を自覚していました。母はこの時点で誰とも会わず、電話で話す事すらありませんでしたが、日本の憲法を守るために最後にもう一度と、このインタビューを受ける事にしたのです。弱りすぎて自分で答えられない時のために、質問への答えを口述で私に書き取らせました。その翌朝母がベッドで原稿を推敲しているのを見て、日々弱まっていた母にこんな気力と思考力が残っていたことに私は驚きました。
 インタビューが予定された火曜日の朝、私が訪ねると、何日も寝たきりだった母が自分で着替えて、きちんとソファーに座り、電話を待っていました。しかし残念な事にこれは間違いで、実際のインタビューは2日後だったのです。恐れていた通り、木曜日には母はもう起き上がれませんでした。インタビューは午後の約束でしたが、母は朝のうちに新聞社に電話してくれるよう、私に頼みました。体力が落ちて話せなくなるのでは、という危倶からでした。母は最後の力を振り絞ってこのインタビューに臨んだのです。

 そして10日後、12月30日に母は自宅で亡くなりました。彼女の最後の仕事はこうして終わりました。

 しかしそこからまた始まったことがあります。母の死の報道は、母のキャリアと日本国憲法について、多くを雄弁に伝えました。芸術交流の仕事と、憲法と女性の権利への母の貢献が初めて一緒に語られる中で、母の一生懸命さやコスモポリタンとしての信条が浮き彫りになり、思いがけない反響が世界中から届きました。日本国内だけでも100以上もの記事が各地の新聞に載り、母の生涯の仕事と最後の力をふりしぼって日本の憲法を支持した事を伝えました。

 この3月、束京での偲ぶ会に出席するために私は日本を訪れました。母なしに“母の国”にいるのは悲しいことでした。しかし母が生前、日本で200回も講演したと聞いて、母の、また母を支えて下さった方たちの努力に今更ながら打たれました。私は日本にいた2週間で、母がなぜ日本をあんなに何度も訪れたのか、初めて分かった気がします。東京、京都、広島とどこに行ってもたくさんの方々が私に向かって母への感謝を語りました。各地で偲ぶ会が開かれ、皆さまが母の思い出を語って下さる事で、母の願いがさらに広く、深く、また新たに多くの人に届いていると私には感じられます。

 日本の皆さんに母を偲ぶこととして「九条の会」への寄付をお願いしたことについて、九条の会の小森さんは「ご意向を伺った時、新年を迎える最初の光が、日本憲法を守ろうとする人々がこれから歩く道を照らしてくれるようでした」と語りました。それを聞いたとき、私は本当に嬉しく思いました。

 4月28日、ニューヨークのアジア協会と日本協会の共同主催で、母を偲ぶ会が行われました。3ヶ月の準備を要した、昼夜2部で8時間にわたるこの会は、ウェブで世界に生中継されました。伝統芸能から現代アートまで、様々な国からきたダンサー、ミュージシャンなどが公演し、母に感謝しました。主催団体の会長たちはベアテの才能とユーモア、強い意志が感じられるエピソードを披露しました。最初のヒスパニック系で、女性としては3人目の最高裁判事ソニア・ソトマイヨールは、「ベアテは日本人の心を持っているアメリカ人だ」と語り、アメリカの憲法にはまだ女性の権利が書かれていない事を指摘しました。日本国意法の9条、14条、24条の条文が紹介され、多くの人が母が誇りにしていた日本の憲法について学んだのです。
 最後に演劇人である弟は舞台に立ち、こう母に大声で呼びかけました。「人々があなたの努力に声援を送っている。ブラボー ベアテ! ブラボー ベアテ!」参加者はそれに応えて総立ちの拍手を送り、「ブラボー!」と声を揃えました。

 その夜、「一生懸命」という日本語が母の好きな言葉だったのを思い出しました。母は憲法、平和、芸術、それぞれのために懸命に働く人たちに惹かれ、そういう人々を応援するのが母の生涯の仕事でした。母は「一生懸命」という言葉そのままの命を生きたのです。

 母は日本の憲法を「世界のモデル」と呼び、常にこう申していました。
「日本の人々はこの素晴らしい憲法と平和を、他の国の人々に教えなければならない。皆がそれをまねできるように」今日の会から始まる皆さまのこれからの努力こそが母への最高の贈り物です。母の志を受け継ぐ皆さまの努力に、そして未来の世代も女性の権利、人権、そして平和を守っていけるように、心から声援を送ります。

 ベアテの灰の一部は、日本にあります。生前、母の心と精神がいつもそうであったように、母の一部は日本の、富士山の見えるところに眠っています。

ニコル・ゴードン

*『ベアテさんの志を受け継ぐ会』(2013年5月10日東京)にて発表。
*2013年6月16日、習志野市9条の会連絡会の講演会で紺野美和子さんが紹介し、朗読。

教え子が逝く 思いを生かす

2010.02.02.00:16

投書
(2010.1.21 しんぶん赤旗「読者の広場」)

みんなで考えてみましょう! 「秋葉原無差別殺人事件」

2008.07.19.01:31

みんなで考えてみましょう! 「秋葉原無差別殺人事件」
            津田沼「9条の会」  2008.7.19(土)

「誰でも良いから殺したかった」なんのかかわりあいのない多くの人が、突然命をたたれた衝撃的な事件でした。
津田沼9条の会では、憲法を読む会を続けるなかで、人間の命の尊さが現憲法の根本精神であることを学んできました。。今回の事件にショックを受け、私たちは真剣に考えなくてはならないと、「なぜ、この事件が起こったのか」、「防ぐ方法はあるのか」、「平和憲法を守り、活かす立場から、どう考えたら良いのか」を話し合おうと、懇談会を企画しました。

コメンテイターと参加者の発言から浮かび上がったものは、今度の事件が彼個人の特異な性格が生んだ犯罪なのか、社会的な背景からうまれた事件なのか、事件は捜査段階で確定的なことは言えませんが、少なくとも二つのことが重なって起こった悲劇的な事件ではないのか。彼の生い立ちや、学習能力からみると、普通の家庭にも起こる問題ではないだろうか、今の競争・学歴偏従の教育にも批判がでました。人の命の尊厳を基本に置く教育が求められているのではないだろうか。
「派遣労働は人間形成に大きな歪みを生むのではないか、」「労働者は労働をつうじて技術・社会生活を教育されるのではないどろうか。」
「派遣法の抜本改正は日本の社会基盤を大きく前進させる意義があるのではないか。」
また、「自分の人生を考えると、若い人には、しっかりとものを言えない。」「刑罰をもっと厳しく」そんな意見には、「きびしくしてもまた、起きる、こんな事件がなぜ起きるのか教育現場、市民レベル・家庭で国民的に考えることによって再発を防げる鍵があるのではないだろうか。」「違う意見を持った人のことを自分はいつも尊重している。」「9条の会で現実に起こっていることと、憲法を生きた立場で考えるのはとてもすばらしい。」

いろいろな意見が飛び出して二時間があっというまに過ぎてしまいました。

         津田沼「9条の会」  保田 博 (ペンネーム)

          
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